脳みそジュース

もうそろそろ梅酒を仕込むシーズンですねぇ。
そう考えると既に梅雨入りって、今年はちょっと早いのかな?

結婚してから梅干は作っているものの、梅酒を作ったことがない。
何故なら、ほんっとに家でアルコールを飲まないから。
3年前に義母から「沢山作ったから持っていって」と、ひと瓶手渡されたものが、殆ど手付かずで残っていたりする。
好きなんだけどね、梅酒。
わたしってば、どうも大勢でまったーり飲むのが好きみたい。

今年は梅ジュースを仕込んでみようかな、と思っている。
梅ジュースにはちょっとした思い出が。

小学5〜6年と同じクラスのいんちゃんという子の家へ、一時期よく遊びに行った。
彼女の家はちょっと遠かったものの、広くて綺麗で、お母さんは働いていたので、うるさく言う人がいない、という子供にはラクチンな家だった。
でも何よりいんちゃんの家で楽しみだったのが、梅ジュースを出してもらえることだった。
今思えばかなり高級な梅を使っていたのだろう。
直径4センチはありそうな大粒の梅が、いつもグラスの奥底に沈んでいた。

ウチの母は梅酒はたまに作っていたものの、ジュースはつくってくれなかったので、初めてこの梅ジュースを飲んだとき、その美味しさに感激した。

このジュース美味しいね!
「そう?毎年お母さんが作るんだよ」
すごいねーすごいねー美味しいねー!この梅は食べられるの?
「食べられるよ」
うわー!美味しいー!でも脳みそみたい!

そう、大粒の高級な梅は、数年寝かされてしおしおにシワが寄り、脳みそみたいな模様になっていたのだ。
その後、いんちゃんの家に行くと「脳みそジュース出してくれないかな?」といつも心で念を送っていた。
どうやらひとり一杯までと決められていたらしく、どんなに褒めても一日一杯以上出してくれることはなかったが、あまりにうるさいわたしのために、いんちゃんは自分のグラスに入った脳みそをくれたこともあった。

いんちゃん元気かなー
まだあの脳みそジュース、飲んでるのかな。

2008/06/03(火) | 食べること | トラックバック(0) | コメント(8)

ウナギは美味い

デイリーポータルの本日の記事
昔のウナギはフランクフルト状態だったらしい

を読んで「ふーむ」と思わず唸る。
暇です。仕事ください。

更にこの記事内に紹介されていたウナギに恋してという記事を見て更に唸る。
そうか!ウナギをさばくときは、保冷剤で冷してアルコールで泥酔させればよかったのか!(それでも大変みたいだけど)

と。感心したのである。

ウナギの話って以前も書いたことあるような気がしないでもないけどどうなんだ?
まあいいや、書こう。

あれはいつのことだったか。
わたしが中学だか高校生の頃かなぁ?
どこからかいただいてきたのが、生きたままのフレッシュなウナギ。

母が暗い顔でつぶやく。
「どうやってさばけばいいのかしら」
「うーなーぎー・・・・・」←役に立たない娘
「よくテレビでやってるのは、頭のあたりをキリみたいなので刺して開いてるけど」
「そんなのできるの?」
「・・・・・気持ち悪いわね」
「第一ウチにそんな道具あったっけ?」
「ないわね」

とにかくなんとかしてみようと握るのだが、ウナギって最高にヌルヌルしてるんだよね。
↑とか言いつつ、母に任せっきりで、指一本触れてない人。
母、しばらく「ひえー!気持ち悪いぃぃっいひー!」と叫びながら掴もうとするも断念。

バケツにしばらく入れておいて、ちょっと弱ったらさばこう、ということになる(フレッシュな状態で貰った意味がないが)。
お風呂場にバケツに水をはり、ウナギをそこへ移す。
夕方になり、どうなったかとお風呂場を覗くと、ウナギがいない。
小さいバケツだったので、ウナギったら簡単に壁を乗り越え排水溝の辺りへ脱出を図ろうとしていたのだ。
ここで母はバケツに戻そうと喉が枯れるほど叫びながらウナギと格闘。
半分泣きながらウナギを捕獲している母が、気の毒やらおかしいやら・・・

放っておいたらまた逃げてしまうから、さっさとさばこう、という結論に達する。
達したのだが。
デイリーポータルのフランクフルトじゃないけど、母、ぶつ切りにしたのよね。

最早どうやってまな板に乗せたのか記憶がないけれど、何度もためらいながら決心し、ようやくガシッと振り下ろした包丁に、何とかぶつ切りになったウナギさん。
でもねー、ウナギってねー、切っても元気なんだよねー
およそ10センチの筒状のウナギ、まな板の上をヌメヌメと這いまわり、床に落ち、逃げる。
え、どこへ?
逃げても今後どうやって生きていくつもりなんだ!
頭ないよ!ないから!

勿論切る瞬間も、ぶつ切りウナギが這いまわっているときも、母といたいけな少女であるところのわたしは、キャーヒエーィ、のぅわーわー!
と叫びつづけていたのであった。
よく隣近所から苦情がこなかったものだ。
ウナギ怖い。

それでも何とか煮立った煮汁の中にぶつ切りを投入、出来上がったウナギは・・・
大変おいしゅうございました。
自分で自分を逞しいな、と思うのは、こういう点だなぁ。

あの当時、インターネットがあれば、もうちょっと静かに調理ができたんだろうに、と懐かしく思い出した。
ま、調理方法がわかっていたとしても、二度と生きたウナギはご免こうむるけど。

2008/05/28(水) | 食べること | トラックバック(0) | コメント(6)

バターがない!

買いだめしたものを置いておくスペースを作るのが面倒なので、買いだめは全くしない主義(ってほどのものでもないけど)である。
だから特売値段を殆ど気にしていない。
スーパーのチラシなんて全然見ないんだよね・・・面倒。
まあ、特売になるようなドレッシングやら加工品を買わないので関係ない、っていうのが正しいけど・・・

で、そんな話じゃない。
バターですよ、バター。
品薄、なんてニュースが出始めた頃、ちょうど買ったところで、ま、これがなくなるころには改善されてるだろ、なんてお気楽に考えていたのだけれど。
先日なくなったなぁ、買わなくっちゃ、と店に行くと。

うわー、ない。バター、ない。

マーガリンばっかり・・・
マーガリンって何となく体によくないイメージがあるし、あまり美味しくない気がするんだよね。
好みの問題もあるだろうけど。

乳製品の棚をにらんでいたら、それでも発見したよ、バター。
瓶詰の小さなものと、フランスのエシレバターが。


これ発酵バターで、随分前にお試しで買ったことがあるんだけど、ものすごく美味しいのだ。
バターってこんなに美味しかったんだ!と涙するくらいに。笑
朝はパン食のダンナもかなり気に入ってはいたけれど、次も買う?と聞くと、
「身分不相応だ」笑ということで、カルピスバターに落ち着いたのだった。

さすがにここまで高いと売れ残るんだなぁ・・・
値引きしないかな・・・
と、エシレを横目で見つつ、瓶詰バターを買ったのだった。

今日の新聞記事によると、政府がもうちょっと食用バターの生産増やしてね!とメーカーに申し入れをしたそうだけど、供給改善には程遠いだろう、とのこと。
目先の帳尻合わせだけで動くから、こういうことになるんじゃないのぉ?
なんだかねー

2008/05/28(水) | 食べること | トラックバック(0) | コメント(2)

なんとなく思い出したので、鬼まんのことを書く

これが鬼まんじゅうだ!


これ、上手く撮れてないけど「鬼まんじゅう」というお菓子。
さつまいもをさいころ状に切って、小麦粉と白玉粉を合わせた生地に混ぜ、蒸したもの。
子供の頃からなんの疑問も抱くことなく食べていて、これが名古屋とその周辺地域にしか存在しないことを数年前に知って、かなり衝撃を受けたのだった・・・
不幸だよ!
鬼まんを知らずに生きていくなんて、不幸だと思うよ!!

というか、知らずにいたわたしに、友達が驚いてた!
ダンナにも呆れられた!

なので名古屋にお立ち寄りの皆様、味噌煮込みや手羽先、ひつまぶしも美味しいけれど、鬼まんじゅうも食べてみてね。
参考サイト→全日本鬼まんじゅう普及協議会

2008/04/13(日) | 食べること | トラックバック(0) | コメント(4)

お弁当

今日のごはん


ごはん、もやしとわかめの味噌汁、高野豆腐の煮物(昨日の残り)、ナスのトマト煮、冷奴、納豆、キャベツとニンジンのサラダ

夕べの残りがあるのを忘れて、おかずを作りすぎた。
トマト煮にはペンネも入る予定だったけど、「多すぎるよ・・・」と気づいてやめた。


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今日の日経夕刊を読んでいたら先だってのギョウザショックで、主婦たちが冷食を使うのを控えていて、そのせいで子供お弁当作りに四苦八苦している、という記事があった。
わたしはもともと冷凍食品(加工品)を使わないので、ギョウザショックは食卓に何の影響もないのだけど。
お弁当作りって、そんなに大変なんだろうか。

や、勿論大変だよ。
毎日家族の誰よりも早く起きて一食分作るっていうのは。
そういうことじゃなくてさ。

記事に書かれていた主婦の事例に、「子供がお弁当の内容に飽きてしまわないか」と不安でお弁当作り教室に通っている、というのがあったのだ。
これ、全く論点がずれているような気がしてならない。

昨今はキャラ弁なんて呼ばれているものもあるように、かわいらしくデコレーションした弁当を競い合う風潮があるみたいだけど。
食事は目でも楽しむもの。
それはわかる。
でも過剰に飾り立てた弁当は、わたしには子供に媚びているようにしか思えない。

好き嫌いがはげしいから、という理由もきく。
でもね、親が食事の時に「これ美味しいね」といいながら楽しそうに食べれば、子供っていうのは「ふーん、そうなんだ」と思い込んでしまうものじゃないのかな?
少なくともわたしはそうやって育った。

そしてそういう単純に信じ込む幼い時期を過ぎると、「親が一生懸命働いたお金でごはんが食べられるんだから、文句を言わず何を出されても感謝して食べなさい」と、かなり厳しく教えられた。
おかげさまで、辛いものがまったくダメなくらいで、大抵のものは食べられる人間に育った。

勿論アレルギーがあったり、摂食障害、その他わたしが知らないだけで視覚に訴えないと食べられない病気があるかもしれない。
でもそういう障害がないならば、飾り立てた弁当など必要ないんじゃないかなぁ。

他の子の弁当と比べて文句を言うなんて言語道断。
家は家、他所は他所、と何故言えないのか。
わたしにはさっぱり理解できない・・・・・

2008/04/08(火) | 食べること | トラックバック(0) | コメント(0)

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